水戸徳川家の居城である水戸城に迫ったお話

水戸城は水戸徳川家の居城であったものの、馬場資幹(すけもと)が鎌倉時代に築城して室町時代まで200年以上にわたって馬場城とも呼ばれていたのです。
水戸徳川家は徳川家康の11男である頼房から始まり、水戸黄門で知られる徳川光圀や江戸幕府最後の将軍徳川慶喜も輩出しています。
私たちが思い描く水戸黄門のイメージは全国を巡って悪者を退治してくれるというものである一方、実際のところで徳川光圀がしていたのは江戸と水戸の2か所の往復のみでした。
それでいてなぜ全国を巡るイメージがついたかと言えば調査員を派遣しており、亡くなった後に生まれた[水戸黄門仁徳禄]という書物が私たちのよく知っている水戸黄門を作り上げました。
水戸城は千波湖(せんばこ)と那賀川を挟んだ丘陵地に築かれており、石垣を持たない力強い土塁が特徴です。
1625年に頼房は水戸に入って城と城下町を大改修し、国内でも最大規模の平山城を作り上げました。
水戸城の見どころは橋詰門で残念ながら本丸跡に水戸第一高校が立っているために立ち入りはできないものの、門を見るだけなら可能です。
橋詰門は薬医門と呼ばれており、水戸徳川家が入城する以前からあったとされています。
かつて水戸城の二の丸には天守代わりとなる御三階櫓が建っていて見た目3階建てであった一方、実は5階建てで最下層を海鼠(なまこ)壁にしたことによって石垣の上に城が建っているように見えるのです。
御三階櫓は残念ながら戦争の空襲で焼失してしまったものの、現存していればその価値は計り知れないものだったかもしれません。
また水戸城には1841年に徳川斉昭が創設した弘道館があり、医学や薬学など幅広い分野を学ぶことができる当時の日本では最大規模の学校だったのです。
1868年の弘道館の戦いなどで火災があるたびに多くが失われてしまった一方、正門や学校御殿などは残っています。
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